暴力に「教育」なんて名前つけないでよね。

こんにちは。管理人のakiraです。
このブログ書かなくなって久しいので、どう書き出していたか忘れてしまいました。

この記事のテーマは日野皓正氏の体罰問題についてです。
本館の方ではなく、あえてこちらに書くことにしました。いわゆる社会問題なので。

休みの日でめずらしくTVを見ていたら、あの動画が流れてきて・・・。
何があった?しかもよりによって世田谷区(あの保坂さんが区長をしている)?って感じで。

私が最初にtwitterで呟いたのは


というもの。
(動画を見返したら「なんだその顔は!」って言ったのは、直前ではなくて直後でした。訂正します)

その後も色々つぶやきましたが、当初の「反抗されてムカついたから手が出たんだろう」という感想は変わっておりません。いや、むしろ強まっております。


DVや虐待との類似点

私の、このつぶやきに対する反論や批判も来ています。
曰く「虐待やDVと同一視するな」と

親密な関係の中で、力の不均衡の元、権力を持った者がもう一方に(単発ではない)暴力を振るう。目的は相手にいうことをきかせるというところが、この件と虐待やDVとの類似点だと私は考えました。

以下、説明を試みます。


日野氏の言動
日野氏がインタビューを受けてコメントを出しました。
その動画がこちら
https://www.youtube.com/watch?v=i6Yh4pxfXTc
同内容のニュース記事
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170901-00000105-dal-ent

動画の最初に
「嘘だよ〜。軽く触っただけ」とヘラヘラ笑いを浮かべる日野氏にドン引きしたのは置いといて。

「俺とあいつは、父親と息子なわけ。他の生徒には絶対に手を上げない」とした上で、「ヤツの心を立て直してやらなきゃという思いがある。だから、これからもやるよ。ビンタもね、アントニオ猪木の方が数段痛いと思うよ」と、愛情を持った教育の一環であることを強調した。

デイリースポーツより引用

「これからもやるよ」と言っていますし、他の報道(http://news.livedoor.com/article/detail/13552675/)では、練習中にも、かの中学生に手をあげることが、あったとのこと(やはり今回だけではなかった)。

日野氏はドラマー君との関係は「父と子」のような特別な関係であるといい、他の生徒は叩かない、彼がいうことをきかなかったから叩いた。これは愛情であり教育だと自分の行為を正当化しています。そして、当初は叩いてない、ちょっと触っただけと事実の矮小化さえ行っています。

DVや虐待加害者の言動をよく知っている人なら、皆声を揃えて「そっくりじゃん」というはずです。


力の不均衡
こう言った暴力が行われる背景には、まず前提として「力の不均衡」があります。
親>子 男>女 教師>生徒 師匠>弟子 など、暴力は強者から弱者へです。(例外もありますけどね)

この「力」というのは、単に体の大きさや腕力だけでなく権力の差も含みます。


この暴力に「教育」だと名付けたのは誰?
いうまでもなく、暴力を振るった日野氏(と、それに同調する人たち)ですね。

その昔、ミシェル・フーコーという人が、「権力とは状況の定義権である」ということを言いました。
私がこの言葉を知ったのは信田さよ子さんの講演会ですが、信田さん曰く、殴る行為そのものが権力ではなく、それを暴力と呼ぶことを禁じ「しつけ」「愛の鞭」「教育」と定義すること自体が権力であると言っています。

今回の場合、日野氏は彼の父として振る舞い、バンドの指導者であるという、この場での最高権力者でもあったわけです。その人が「これは教育である」と状況を定義したのですから、この状況を「暴力である」と定義し直す力はドラマー君にはないのです。

以上、私がこの状況を虐待やDVと同じだと思った理由です。


バックラッシュ

虐待にしても体罰問題にしても、あって当たり前だった強者(権力者)から弱者への暴力を、「しつけ」や「愛の鞭」ではなく「児童虐待」「DV」「暴力」と名付けることにより「理由があっても、暴力は行なってはいけませんよ」ということができるようになりました。
日本がそういう国になってから、まだ20年かそこらです。

ここで、また20年前に戻ろうというのでしょうか?
理由があれば暴力を振るっても良いという時代に戻りますか?


この暴力の教育的価値

叩かれた子どもも納得し反省ているし、教育的価値はあったというふうに思う人もいるでしょう。

でも、本当にこの件が教育的であったとしたら
「僕は悪いことをしました。皆に迷惑をかけて、嫌な思いをさせてしまってごめんなさい。でも、誰も僕に暴力を振るっていい人はいません。そして僕も暴力は振るいません」
となったのでしょうね。

一般的に被害者側が暴力を容認することは多々あります。
今回の件でも「昔はもっとひどかった」「悪いことをすれば殴られて当然。自分も殴られた」という声が大きいでしょ。

ドラマー君が暴力を肯定する人にならないことを願うばかりです。


あまりまとまらないけれど、そろそろ日常に戻る時間です。
では、また。